ぼつぼつかな?」と思ってるものですから、標記の本を買って読んでみました。
9章あって、その第1章が、「死ぬって、どうゆうことですか?」でしたが、この章は、ぜんぜん、面白くなく、期待はずれ。
ホリエモンって、牢屋に入ったりして、悪人みたいに思われているけど、本も沢山よんで、該博な知識と自分なりのしっかりした考えをもっており、どちらかと云うと、寂聴さん、対談でも押されぎみ。
ホリエモンの発言で、秀逸なのは、「学校なんて別に今やいらない」って云ってますね。
あれは、もともとは、兵隊をつくるために作ったもの。
僕は、まぁ小学校くらいはあって「読み書き算盤」ができたら、後は、お好きなようにがいいですね。
だいたい、あの学校至上主義が気にいらない。
毎日毎日、クソ真面目に学校に行かせるのではなく、親や、爺さん婆さんが国内旅行でも海外旅行でも、自由に連れだしていいとか、ウイークデイでも芝居、コンサートに、お供させるとか。
それを、授業についていけなるとか、偏差値がさがるとか=こっちの方が大切みたいなことを言っている。
寂聴さんが「安部総理は、戦争がしたいんでしょう?」と発言して。
ホリエモン「日本は、まず戦争はしないと思う。 戦争が起こった真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ。」
ホリエモンは、尖閣なんか、何億もかけて国有化したり、自衛艦を巡回させたり、コストに合うのか?
もともと、ウヤムヤにしとくのが一番なのに、石原慎太郎がしゃしゃりでて、都が買う、それにノセられて、野田前総理が国有化しちゃったのが、まずかったですね。
近頃、読んだ本の中では、面白い本でした。
2014年11月26日水曜日
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6 件のコメント:
それで、死ぬってことに寂聴さんはなんて言ってるのかなー。
学歴で人を判断する傾向、権威に頼ろうとする傾向が払拭されないとねー。
学校いらないって、面白いですね。どうなるんだろう。なんだかワクワクしてきますが・・・・
権兵衛さん
寂聴さんも、死んだことがないので、たいしたこと言ってません。
「もう、いつ死んでもいいわ。」=何だ、俺と同じだ。
明日(28日)福祉センターに本を持って行きます。
読み書き足し算引き算が出来れば学校要らないと云うか、行きたい人が行けば良い、
これ結構好きです。
我が家の教育方針、「頭は人に騙されない、
人を騙さない程度で良し! 大学は入りたい
大学の入れる学校でOK。受験勉強は特に
要らんぞよぉ」だったので。
私自身は職人っていうのがかなり好きで
宮大工、庭師って憧れでした。
ものつくりの好きな若者がいっぱい居ると
いいなぁと今でも思っています。
自分で生きていける人が育たなくっては
いけないな、と思っています。
ごちゃごちゃ書いちゃいました!
失礼、m(_ _)m
我が仏教勉強勉強会の老師松門寺立花知彦の解説.
およそ二千五百年ほど以前に、インドの釈迦族シッダールタ太子があるとき「人はなぜ生きるのか。人はなぜ老いるのか。人はなぜ病になるのか。人はなぜ死ぬのか」との疑問を持ち、家族を捨てて出家したと言われる。
様々な苦行の果てに、苦行も捨て菩提樹の下で坐っていて悟りを開いた。釈尊である。
釈尊はその後、集まった弟子たちにその悟りを伝えようとして説法を始めた。釈尊とそこに集まった弟子たち、佛教の始まりである。
この佛教の様相は、私たちが現在目の当たりにする佛教の様相とは大きくかけ離れている。
お寺で両親の法要を営んだり、お墓参りをしたり、葬儀をする。そのように両親を大切にする、あるいは先祖を大切にすることは、佛教というよりもむしろ儒教的な様相であろう。
瀬戸内寂聴などの言葉をまともに受け取る純情な人がいるんだね。
成長しないままの脳なのか、あるいは既に脳が老化しているのか。
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