2012年3月29日木曜日

関東大震災

 1923年の「関東大震災」とは、東京下町の直下地震であり、相模原は少し距離もあり、大したことなかったのかな」との認識で長い間、呑気に過ごしてきました。
 ところが、震源域は相模湾、最激震地は、神奈川県。 東京の揺れは、これより弱かった。 皆さん知ってました?
 小田原から鎌倉にかけての湘南海岸沿いの町村は、津波の襲来も含めて、甚大な被害を受けてます。
 相模原は少し内陸部ですが、この頃そんなに多くの人が住んでおらず、記述らしきものはなく被害の程は、この本ではよくわかりません。


 震源域に近い大都市横浜も壊滅的被害ですが、人口密集地帯の東京では、本所被服廠跡で3万8千人の死者をだすなど、地獄絵さながら。
 地震に、続いて起こった大火災が人的被害を甚大なものにしました。 関東大震災と同規模の安政の地震(1955=関東大震災の68年前)でも、大火が発生している。 この時発火したのは66ヶ所、関東大震災の88ヶ所と大差はないが、焼失面積たるや、関東大震災の方が、19倍も多い。

 江戸時代に比べ、大正時代の方が、消防能力は、優れていたのだが、地震によって、水道管が寸断され、消防能力は、無に帰し、家屋の密集度も増しており、結局燃えるにまかせたのが実情のようです。
 何万坪もある本所被服廠跡でしたが、そこに家財道具を大八車に積んで、何万にもの人が集まったところへ、周囲から迫った火炎が、家財道具に引火、4万人もの人が逃げ惑い、折り重なるように倒れ焼死の大惨事となった。 また、家財道具を積んだ大八車が道を塞ぎ、消防隊の移動を妨げたようです。

 家屋倒壊など地震による直接的な被害もさることながら、火災その他、2次災害に対して、十分な配慮、備えをしておくことが、いかに大切かを教訓として教えてくれてます。

 大正時代の大八車に相当するのは、平成では、あまねく普及した車です。 しかも、悪いことに、引火性の強いガソリンを積んでますね。
 非常事態に車で避難しようとする人も現れるでしょうから、車が道を塞ぎ、2次災害の要因になり得ますね。 

 あれから、90年になろうとしてます。 今、関東大震災が再来したら、相模原はどうなるか? いや、自分の住んでいる数キロ四方で、どう云うことが起こるのか? 気になりませんか?

 たまたま、自治会の防災リーダなる役目が回ってきましたので、自治会役員の人に、質問してみました。
「毎年、防災リーダ会議や、防災訓練がありますが、実際に災害が起こった時、我が自治会の地区では、どのような事態になることを想定されておられますでしょうか?」
「例えば、一時避難場所の小学校までの避難ルートに、我家の前の狭い道路を指定しておられますが、ここに何百人も人が集中すると、どうなるか?」

 「想定外」と云う言葉がありますが、我が自治会では、どうやら想定さえしていなようでした。
 防災リーダは、我が班の10世帯の何十人かの人間を、一時避難場所の小学校まで、うまく誘導するのが役目とか。
 この地区の人口が、約4万人、これが、あの小学校の校庭に押しかけたら、本所被服廠跡以上のことが起こりそう!
 あな、恐ろしや! くわばら、桑原!!
 

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